絵やテキスタイルを描いていると、気づかぬうちに「盛りすぎ」てしまう瞬間があります。そんな時こそ、一度手を止めて“引いてみる”。重ねた絵の具を洗い流すように、思い切って削ぎ落とすことで、デザインは驚くほど自然な表情を取り戻します。

1. 押しすぎたときに見える“エグ味”
筆を進めているうちに、どこか「もう少し」「あと少し」と加えたくなる瞬間があります。しかしその小さな積み重ねが、いつの間にか画面を重くし、張りつめたような“エグ味”を生んでしまいます。モチーフが主張しすぎて、見る人の想像を遮ってしまうこともあります。テキスタイルデザインでは、画面の呼吸が止まるほど描きすぎると、布の軽やかさや空気感が消えていきます。そんなときこそ筆を止めて深呼吸し、余白に目を向けることが大切です。描かない勇気を持つことで、作品全体が穏やかに調和していくのを感じ取れるようになります。

2. 消して描くという発想
大学時代、大きな絵を描くのが好きで150号という大きさの絵をよく描いていました。教室では狭く感じて廊下で描くことが多かったので教授の目にもよく止まりました。ある日どう進めれば良いかわからなくなったことがあり、教授に相談すると「バケツと雑巾を持ってきなさい」と言われ、半信半疑で手渡すと教授が私の絵を水で洗い流しました。すると、絵の具が混ざり合いながら柔らかな表情を見せ始め、偶然のようで必然的な美しさが浮かび上がってきたのです。その体験を通じて、私は“消すことは直すことではない”と知りました。消すという行為には、これまでの筆跡を受け入れながら、新しい可能性を生み出す力があります。鉛筆デッサンでも、練りゴムで柔らかく光を抜くとき、その一瞬に画が呼吸をし始めます。引くことで、むしろ画面は豊かになるのです。

3. デザインにも通じる“引く勇気”
テキスタイルデザインでも、モチーフを重ねすぎると柄が詰まり、リズムを失ってしまいます。色を足すたびに華やかさが増すようで、いつしか統一感を失っていく。そのようなとき、あえて一歩引いて“削ぐ”という判断がデザインを救うことがあります。多くを描き込みたい衝動を少し抑えて、余白や抜け感を活かすと、布全体に柔らかな流れと品位が生まれます。引くということは、表現の縮小ではなく、見る人の想像を広げるための余白づくり。私がデザインの現場で何度も感じてきたのは、「引く」ことこそ次への前進であるということです。その一手が、作品をより自然で奥行きのある世界へと導いてくれます。
あとがき
描きすぎたり、やりすぎたりしてしまうのは、伝えたい気持ちの強い現れ。けれど、手を止めて一息つくと、その想いがゆっくりと落ち着き、本当に大切な形が見えてくる。押しても届かなかったところに、引くことで自然に届くことがある——そんな制作の不思議を、これからも大切にしていきたいと考えます。
執筆:代表取締役・テキスタイルデザイナー安田信之:株式会社ALBA・[ 著者情報 ]